1957年7月 チュードア、人智学協会のメンバーになる。
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日付:1957年7月
小咄:
毎年恒例となりつつあった夏のヨーロッパ・ツアーを直前でキャンセルしたチュードアは、その代わりと言わんばかりに人智学協会のメンバーになる。かねてからチュードアの周辺には、三歳上の姉ジョイや、ケージと出会う前によく一緒にツアーしていたクラシック・サクソフォニストのシガード・ラシャー(チュードアいわく「人生で出会ったなかで最高の音楽家」)など、人智学に入れ込んでいる人が多く、チュードアもルドルフ・シュタイナーの本を読み漁っていた。しかし協会に入る決め手となったのは、「あらゆるカルマ(因果)的関係が促進される」という友人の助言である。数年後の手紙で、チュードアはその助言が本当であったことを認め、「入会していなければ起こらなかったはずの、人生についてのさまざま決定を下すことが求められる」と書いている。ヨーロッパに行かなくなったことによって、ぽっかりと予定が空いた残りの夏休みを、チュードアは自宅近くで開催されていた人智学のサマー・スクールにほぼ毎日通うことで過ごす。これ以降、協会メンバーの活動として人智学のコンサートにて、普通は断りつづけていた西洋クラシック音楽の演奏をたびたび行なうようになる。また「自然」、「聴取」、「楽器」、「身体」、「影響」などについて、シュタイナーの思想から考えを紡ぎ出していく。
場所:
#米国
#ニューヨーク州
#スプリング・ヴァレー
関係者:
#デーヴィッド・チュードア
#ルドルフ・シュタイナー
#タイプ:出来事_SIDE-B
#キーワード:人智学
#1957年